秀吉の御土居は京都の城壁?土塁と堀の役割、22.5kmと今の遺構を分けて読む

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京都を囲んでいた「御土居」と聞くと、お城の石垣が街の周りへずっと続いている姿を想像しそうになります。

でも、御土居は、秀吉が1591年に築いた土塁と堀を中心とする施設です。 土塁は、土を盛って造った壁状のもの。京都市の説明では、外からの攻撃に備えることと、洪水から市街を守ることの両方が役割に挙げられています。

読み方は「おどい」。まず、石の城壁と決めず、土の高まりと水の通り道から見てみよう。

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敵を防ぐだけではなく、川の水から街を守る役割も

京都市の文化財解説では、天正19年、つまり1591年の京都の都市改造の一つとして紹介されています。

台形の土塁と堀からなり、堀の一部には川や池、沼も利用したと説明されています。何もない場所に同じ形の壁を一周造った、と一括りにしないところです。

同市の案内にある総延長は22.5km。kmはキロメートルで、22.5kmは22,500mに当たります。これは築かれた御土居の規模を示す数字です。

内側を洛中、外側を洛外と呼び、出入口には七口を設けたとされています。洛中・洛外は、ここでは御土居の内外を分ける呼び名、七口は出入りする要所のことです。鞍馬口や丹波口という地名にも、その名残があります。

城の建物だけを見るのとは、ずいぶん視野が広がりますね。街をどこで区切り、どこを通して、川にどう備えるか。御土居には、秀吉の町づくりを読む手がかりがあります。

22.5kmが、今もぐるっと残っているわけではない

ここは散歩の予定を立てる前に分けておこう。

京都市は、江戸時代に市街が外側へ広がるにつれて、御土居が次々と取り壊されたことも説明しています。現在残るのは、その一部です。

同市の2025年4月16日付の解説では、1930年に8か所が史跡に指定され、1965年に北野天満宮境内の1か所が加わり、指定地は9か所と紹介されています。史跡は、歴史上重要な場所として指定された遺跡などのことです。

「もとの長さ」と「今残っている場所」は、別に見たいんです。 22.5kmを、そのまま今日歩ける連続した見学路の長さとして予定へ入れないでください。市の位置図で、遺構(昔の施設が今に残る部分)の場所を確かめ、訪れる場所の公開条件は個別の案内で確認しましょう。

地形と合わせて京都の歴史を読みたいなら、梅林秀行さんの『京都の凸凹を歩く 高低差に隠された古都の秘密』という本があります。青幻舎の紹介には、御土居を含め、古地図と立体的な地形図から京都を見直す内容が案内されています。

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今回確認した販売掲載は中古本です。紙の本文や掲載ルートを実際に歩いた紹介ではなく、出版社の概要と書誌を確認した案内です。現在の公開日時や交通案内まで、本の情報だけで決めないでね。

最初は、市の位置図から一か所だけ選んでみてください。御土居の土の高まりを見つけたとき、建物の土台かな、で終えず、その内側と外側にあった街まで考えてみる。そんな読み方で、御土居の見え方を広げられます。

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この記事を書いた人

史料や公的な案内を確認し、戦国時代の人物と史跡をわかりやすく紹介する編集部です。

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