秀吉の中国大返しとは?本能寺の変の知らせ、備中高松城の和睦、姫路城を経て山崎の戦いへ向かった道のり、伝わる日程など5つのポイント

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本能寺の変のあと、羽柴(豊臣)秀吉が、遠くはなれた備中(今の岡山県)から、ものすごい速さで京都の近くまで軍を引き返した「中国大返し」。歴史の中でもドラマチックな場面として、よく話題になりますよね。この記事では、日本史の事典や概説書で紹介されている内容をもとに、本能寺の変の知らせから、備中高松城の和睦、姫路城、山崎の戦いへの道のりを、やさしくたどってみました。

この記事では、日本史の事典や概説書、自治体や史跡の案内などで一般に紹介されている内容の「中国大返し」「備中高松城の戦い」「山崎の戦い」の一般的な解説をもとに、秀吉の中国大返しについて5つのポイントで整理します。後半の、中国大返しを、地図と日程でたどる楽しみ方は、この記事の提案です。

※この記事は、2026年10月時点で日本史の事典や概説書、自治体や史跡の案内などで一般に紹介されている内容に掲載されている内容をもとにしています。日付は旧暦(天正10年)の日付で、史料や本によって、少しずつちがう説明があります。ここで紹介する日程は、一般によく紹介されている目安です。くわしくは、事典や研究書などで確かめてください。

この記事でわかることは、次のとおりです。

  • 秀吉の中国大返し 5つのポイント
  • 中国大返しを、地図と日程でたどる楽しみ方
目次

中国大返しってなに?

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引き返した大移動

中国大返しは、秀吉が中国地方での戦いを終わらせ、京都方面へ軍を急いで引き返したできごとのことです。

本能寺の変のあと

天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変のあとに起こりました。

山崎の戦いへ

秀吉は、引き返したあと、山崎の戦いで明智光秀の軍とたたかいました。

速さで有名

短い日数で長い距離を移動したことで、よく知られています。

日付(天正10年・目安) できごと
6月2日 本能寺の変
6月4日ごろ 備中高松城の城主・清水宗治が自害し、和睦が成立したと伝わる
6月7日ごろ 姫路城に到着したと伝わる
6月9日ごろ 姫路城を出発したと伝わる
6月13日 山崎の戦い

秀吉の中国大返し 5つのポイント

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1. 本能寺の変の知らせ

秀吉は、備中高松城を攻めているときに、本能寺の変の知らせを受けたと伝わっています。

2. 備中高松城の和睦

毛利氏と和睦を結び、城主の清水宗治が自害したことで、戦いが終わったとされています。

3. 姫路城を経て

秀吉は、まず自分の拠点だった姫路城にもどったと言われています。

4. 山崎の戦いへ向かった道のり

姫路城から東へ進み、山崎で明智光秀の軍とたたかいました。

5. 伝わる日程

備中高松から山崎までの移動は、10日ほどだったと紹介されることが多いです。

5つのポイント早見表

ポイント 日本史の事典や概説書、自治体や史跡の案内などで一般に紹介されている内容の案内
本能寺の変の知らせ 本能寺の変
備中高松城の和睦 備中高松城
姫路城を経て 姫路城
山崎の戦いへ向かった道のり 山崎の戦い
伝わる日程 日程

本能寺の変の知らせ

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織田信長がたおれる

6月2日、京都の本能寺で、織田信長が明智光秀に攻められました。

知らせが届く

秀吉のもとには、その知らせが6月3日の夜ごろに届いたと伝わっています。

秘密にする

秀吉は、信長がたおれたことを、毛利方に知られないようにしたと言われています。

すばやい決断

知らせを受けて、すぐに引き返す決断をしたと語られています。

備中高松城の戦い

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水攻め

秀吉は、備中高松城のまわりに堤を築き、水をためて城を囲む「水攻め」を行ったことで知られています。

毛利氏との戦い

備中高松城は、毛利氏の側の城でした。

清水宗治

城主の清水宗治は、城兵の命と引きかえに自害したと伝わっています。

和睦の成立

こうして、毛利氏との和睦が成立したとされています。

備中高松城の水攻めの跡

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史跡として

岡山市には、備中高松城の跡が史跡として残されています。

堤の跡

水攻めの堤の跡とされる場所もあります。

資料館

近くの資料館で、当時のようすを学ぶことができます。

季節の景色

史跡のまわりの景色も、季節ごとに楽しめます。

姫路城を経て

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秀吉の拠点

姫路城は、当時の秀吉の拠点でした。

ひと休みと準備

秀吉は、姫路城で兵を休ませ、戦いの準備をしたと言われています。

城の蓄えを配る

城にあったお金やお米を、兵たちに分けあたえたという話も伝わっています。

今の姫路城

今の姫路城の天守は、そのあと池田輝政のころに整えられたものだと紹介されています。

山崎の戦いへ向かった道のり

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姫路から東へ

姫路城を出た秀吉の軍は、東へ進みました。

尼崎を経て

途中で尼崎などを通ったと伝わっています。

仲間を集める

道中で、ほかの武将たちも秀吉の軍に加わったと言われています。

山崎へ

こうして、京都の南西にある山崎へ向かいました。

山崎の戦い

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6月13日

山崎の戦いは、天正10年6月13日に起こりました。

明智光秀とのたたかい

秀吉の軍は、明智光秀の軍とたたかいました。

天王山

戦いの舞台の近くにある天王山は、「天下分け目の天王山」という言葉でも知られています。

秀吉の勝利

この戦いで秀吉の軍が勝ち、秀吉は天下統一への道を進んでいきます。

なぜこんなに速かったの?

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すばやい和睦

毛利氏との和睦を早く結べたことが、大きかったと言われています。

準備のよさ

道中の食料などを用意していたという説もあります。

兵の工夫

身軽になって移動したという話も伝わっています。

いろいろな説

速さの理由については、いろいろな説があり、研究が続けられています。

距離の目安

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約200キロ

備中高松から山崎までは、およそ200キロほどと紹介されることが多いです。

10日ほどで

この距離を、10日ほどで移動したと言われています。

道の状態

当時の道は、今のように整った道ではありませんでした。

雨の中

雨の中の移動だったという話も伝わっています。

中国大返しが語られる理由

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歴史の分かれ目

中国大返しのあとの山崎の戦いで、そのあとの歴史が大きく動いたと考えられています。

物語になる

小説やドラマでも、よく描かれる場面です。

秀吉の決断力

すばやい決断が、秀吉の人物像として語られることがあります。

研究も進む

日程や道のりについて、研究が進められています。

ゆかりの地をめぐる

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備中高松城跡

岡山市にある、水攻めの舞台となった城の跡です。

姫路城

世界遺産にもなっている、白く美しいお城です。

天王山

京都府大山崎町にある山で、山崎の戦いの舞台の近くです。

旅のプラン

西から東へ、順にめぐる旅を計画するのも楽しいです。

中国大返しを学ぶときの心がまえ

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伝わる話と史料

中国大返しには、物語として伝わる話もたくさんあります。当時の手紙や記録などの史料をもとにした研究と、あとの時代にまとめられた物語とを分けて考えると、歴史がよりおもしろく感じられます。

日付は旧暦

本に書かれている日付は旧暦なので、今のカレンダーとはちがいます。季節や天気を想像するときは、そのことを頭に入れておきましょう。

説がいろいろ

移動の日程や道のりについては、本によってちがう説明があることもあります。何冊かの本をくらべて読んでみるのもおすすめです。

地図で確かめる

地名が出てきたら地図で場所を確かめると、移動の大変さが実感しやすくなります。

中国大返しにかかわった人たち

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羽柴秀吉

当時の秀吉は、織田信長の家臣として、中国地方の毛利氏との戦いをまかされていました。この大移動をひきいた中心人物です。

黒田官兵衛

秀吉の家臣の黒田官兵衛(孝高)は、和睦や引き返しの判断にかかわったと語られることが多い人物です。物語の中でもよく登場します。

清水宗治

備中高松城の城主で、城兵の命を守るために自害したと伝わっています。その姿は、物語の中でも印象深く描かれています。

明智光秀

本能寺の変を起こした武将で、山崎の戦いで秀吉の軍とたたかいました。

中国大返しを描いた作品にふれる

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歴史小説

中国大返しは、たくさんの歴史小説で描かれてきました。登場人物の気持ちや、道中の緊張感が、作家ごとにちがう形で表現されています。

大河ドラマ

秀吉や黒田官兵衛、明智光秀を主人公にした大河ドラマでも、見どころの場面として描かれることがあります。

マンガ

歴史マンガでは、地図や絵で移動のようすがわかりやすく描かれていることもあります。

作品と史実

作品には創作の部分もあるので、史実と物語のちがいを考えながら楽しむのもおすすめです。

中国大返しを、地図と日程でたどる楽しみ方

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ここからは、日本史の事典や概説書、自治体や史跡の案内などで一般に紹介されている内容の案内をもとにした、この記事の提案です。

地図を広げる

備中高松、姫路、尼崎、山崎の場所を地図で確かめます。

日程を書きこむ

伝わる日程を、地図に書きこんでみます。

距離を測る

おおよその距離を測って、移動の速さを想像します。

ゆかりの地へ

機会があれば、ゆかりの地をめぐってみます。

よくある質問

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中国大返しとは?

本能寺の変のあと、秀吉が中国地方から京都方面へ軍を引き返したできごとです。

いつのこと?

天正10年(1582年)6月のことです。

どこからどこまで?

備中高松から、姫路城を経て山崎へ向かいました。

何日かかった?

10日ほどだったと紹介されることが多いです。

距離は?

およそ200キロほどと紹介されることが多いです。

山崎の戦いはいつ?

天正10年6月13日です。

相手はだれ?

明智光秀の軍です。

なぜ速かった?

すばやい和睦や準備のよさなど、いろいろな説があります。

歴史の大きな分かれ目を、地図でたどってみよう

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秀吉の中国大返しは、本能寺の変の知らせを受けたあと、備中高松城で毛利氏と和睦し、姫路城を経て山崎の戦いへ向かった大移動です。伝わる日程や道のりには、いろいろな説があります。地図を広げて、秀吉の軍がたどった道のりを想像してみると、歴史がもっと身近に感じられますよ。

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この記事を書いた人

史料や公的な案内を確認し、戦国時代の人物と史跡をわかりやすく紹介する編集部です。

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