高台寺は秀吉が建てた寺?ねねが1606年に開創、家康の援助も分けて読もう

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京都の高台寺は「秀吉とねねの寺」と紹介されるから、秀吉本人が建てた寺なのかな?

高台寺の公式説明では、秀吉が亡くなったあと、妻の北政所ねねが菩提を弔うため、1606年に開創した寺です。菩提を弔うとは、亡くなった人の冥福を祈ること。開創は、寺を開き始めることを指します。

誰にゆかりがあるのかと、誰が寺を開いたのか。名前の印象だけで同じ人にしないで読むと、ねねの側から見える歴史があります。

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寺を開いたねねと、お金の面で支えた家康

高台寺の公式な歴史紹介は、慶長11年、1606年の開創を、北政所ねねの行為として説明しています。ねねは仏門に入ると、高台院湖月尼と名乗った人物です。

さらに造営、つまり寺の建物などを整えることについては、徳川家康が多くの財政的な援助を行ったとあります。

ここで、ねねの名前が家康に入れ替わるわけではないんだね。寺を開くことと、資金面で支えることは役割が違う。寺の説明は援助に政治的配慮があったとしていますが、それだけで二人の心情まで作って語らないようにしたいところです。

出典:高台寺公式・歴史。京都市公式の観光案内も、1606年にねねが創建したと案内しています。

1606年と1624年、二つの年が出る理由

同じ公式説明には、1624年に、建仁寺の僧、三江和尚を開山として迎え、高台寺と号したとも書かれています。開山は、ここでは寺の開祖となる僧のことです。

つまり1606年の開創の説明と、1624年に僧を迎えた説明が並んでいます。後の年だけを拾って、ねねが寺を開いた年まで1624年へ書き換えないでね。

メモを残すなら「1606年・ねねによる開創」「1624年・三江和尚を開山として迎える」と、年と出来事を一組にすると読み返しやすいよ。

ねねの人生を秀吉の死後まで追いたい人には、福田千鶴著、吉川弘文館の『高台院』が候補です。公開目次には出家や、豊臣家との関わり、晩年を扱う章があります。寺を訪ねる話から、その後も続いた一人の人生へ進める本です。

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高台寺の名を見かけたら、「秀吉ゆかり」で止まらず、ねねが何を始めた場所なのかへ。そこが分かると、同じ寺の案内でも、読む主語が変わってくるね。

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この記事を書いた人

史料や公的な案内を確認し、戦国時代の人物と史跡をわかりやすく紹介する編集部です。

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